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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村にて】 会津に関することが記されているとある本に、山の斜面に石仏が並んでいると書かれていたので、2006年に出掛けました。そして村の方にその尾根に上がっていく道をお尋ねしたら、その並べられていた石仏などは村の中に下ろしたとお伺いして、そのすぐ近くに「子安観音」があるとも教えて下さったので、訪ねてみました。 子供を抱いているようには見えないのですが、間違いなくこれは「子安観音」と言われています。そして、この写真を撮った頃にも、どこからかこの「子安観音」をお参りに来る方がいらっしゃるとお伺いしました。この「子安観音」が祀られていた山や、反対側の山には様々な神々や仏が祀られていました。その本には、それがあった場所を示す地図が載っていますが、この村の部分を書かれた方は、宗教を客観的に見ることがお出来になる方で、大変に驚きました。一度お会いしたいと思っていたのですが、小生が訪ねたときにはお留守でした。 日本では、神社や寺院にまで格式の差を付けることがありますが、こうした山の中にある神々や仏に、そうした差を見出すことは出来ません。多神教よりも一神教の方が「進んでいる」と考えることは、真実の歴史を見失うことにしかならないと小生は常々、考えてきました。 村々には、それぞれ独自の宗教的習慣があります。そうした宗教的習慣を網羅出来たら、キリシタンがもっともっと見えてくるかもしれません。道端の小さな石祠に隠れていることもあります。鳥居のある祠に隠れていることもあります。ただ、会津では真剣に隠そうとしていないので、意外と簡単に見付けることが出来ます。これも、会津のキリシタンの特徴です。今日は朝餌を食べたら、都心へ一人で出掛けます。「迷うから、しっかり時間をとっておけよ!」と所長に言われました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.07 07:04:49
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