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テーマ:日本の未来(224)
カテゴリ:キリシタン
【会津の山間部の農村】 会津のとある山間部の農村の、かつては田圃だったところを撮った写真です。最初にここを通った時は、稲刈りが終わった直後でした。道路脇の所々に刈り取った稲が少しずつ掛けられていたのを憶えています。もしかすると、野鳥のためにそうして置いてあったのかもしれません。 それからしばらくして通った時には、田圃に木が生え始めていたのですが、この写真を撮った去年の6月には、ここが田圃だったことを知らない方には、ここがどういう場所だったかは判らないだろうと思えるほどになってしまっていました。 この村も過疎化高齢化が進んでいます。かつては、この村にも小学校の分校があったのですが、現在は既に廃校になっています。その小さな建物を撮った写真はここでもご紹介したことがあります。戦後、国産米の量では需要を賄いきれなかった時代には、新田がどんどん開墾されました。古墳だったと考えられているところが、田圃になってしまったところもあります。 日本の農政は、あの頃から歯車がきちんと噛み合わなかったのかもしれません。そして、開墾、開墾と進められて、気が付いたら「米あまり」になっていました。そして、人口の都市集中が起きて、農村の過疎化が産声を上げました。この写真でもお判り頂けるかと思いますが、この田圃は夏至の時でも、日照時間はそれほどないところです。所謂、銘柄米を作ることが出来たかどうか‥‥‥。そして高齢化は止めることが出来ませんから、それほど遠くない将来に、村が消えるかもしれません。しかし、この村にも長い歴史があり、そこで代々、米を生産してきた家々があった歴史があります。その時その時の時代の流れで農政が行われていれば、貿易収支が黒字であっても、食糧事情は非常に不健康なものになるように思えてなりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.07 21:39:32
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