|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【土津神墳鎮石】 土津神墳墓の最上部にあるこの石造物には、「土津神墳鎮石」と彫られています。この写真は、2012年10月13日にズームレンズで撮りました。土津神は保科肥後守正之の神霊名です。地元の方は、土津神社を「土津様(はにつさま)」とおっしゃいます。小生は、会津の土津神社から5分もあれば歩いていけるところに9年住んでいたことがあります。そして、あそこに住みはじめて、最初の冬に非常に疑問に思えたことがあったのですが、長い期間、会津のキリシタンの研究に没頭して、その疑問が解決しました。 最後の決め手は、保科正之公が亡くなられたのは寛文十二年十八日(西暦1673年2月4日でしたが、その頃には神道は葬式をしていないと、ある神道の研究家が教えて下さったことでした。その方は筑波大学の大学院で、小生も少し存じ上げている教授の下で研究されていた方です。 保科正之公は江戸で亡くなられたのですが、亡くなられるとすぐにご遺骸は会津へ運ばれました。小生は、御霊櫃峠は、その時に開削された峠ではないかと考えています。そして、それ以降はほとんど使われることはなく、現在のように整備されたのは、明治以降のことではないかと思えます。この素早い対応が気になって仕方がなかったのですが、これまで会津史に関する文書を、ことに『会津藩家世実紀』にある記録を読んでいくと、江戸で火葬にされてしまう前に、重臣たちは会津へ御遺骸を運びたかったのであろうと考えると、この一連の出来事を理解することが出来ます。 そして、あの御霊櫃峠の東側にも、西側にも、気になるモノが多数残っています。昨年になって、あの一帯をかなり丹念に巡ったら、驚くほろ数多くのキリシタンの痕跡に出会うことが出来ました。そしてあの一帯も、この墳鎮石があるところから、猪苗代湖の対岸に見えることは、対岸から何回も確かめています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.08 15:09:18
コメント(0) | コメントを書く |