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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【キリシタン街道】 会津のキリシタンを研究しはじめる前からこの楊枝峠へ行ってみたかったのですが、それまで乗っていた車が少し心配になったので、ここに写っている4駆の軽に買い換えたので、2006年10月18日にとりあえず、楊枝峠まで上がってみました。この峠は蒲生氏郷の時代に開削された峠道です。開削の理由はあまり議論されていませんが、秀吉の南部攻略の為の下準備であったであろうと小生は考えています。 しかし、峠が開削されれば、当然、物流やひとの往来にも使われるわけで、会津と中通りを結ぶ重要な街道になっていました。この峠道は、会津側からの入口は一ヶ所しかありませんが、中通り側は何ヶ所からもこの峠へ来ることが出来ました。それらの道は現在も残っているようです。予定では、峠を越えて中通りへ出るつもりだったのですが、峠の鞍部に車が止められていて、引き返すしかありませんでしたが、この峠道は、石畳がまだ残っていました。 そして、国土地理院の地形図で確かめると、楊枝峠を越えた中通り側が気になっていたのですが、最近になってその一帯を案内していただいたのですが、確実なキリシタンの痕跡が残っていました。この楊枝峠は軍事的な理由で開削されたのですが、江戸時代に入ってからは、勿論、物流やひとの移動に使われていたようで、キリシタンの宣教師が移動したことは間違いないと思われます。そして、峠付近の地質を見ると、かなり粘土質なので、それで峠道に石畳を敷いたのであろうと思われます。 軍用道路が物流やひとの交通に使われても不思議ではありませんし、歴史の中では、軍事的な理由で開発されたものが、一般民衆の中で使われるようになることは、極めて当然のことです。現在の衛星通信やGPSなどは、軍事目的で開発されたものです。特に、GPSは巡航ミサイルには欠かせないシステムですが、カーナビに利用されていますし、衛星通信はテレビに使われています。悲しいことですが、文明の進歩は戦争のために開発された当たらし技術によって進んできました。余談ですが、楊枝峠がキリシタン街道だったという史料は会津りませんが、この峠道を丹念に走って、村々を訪ねるとそれがはっきりと見えてきます。 ※楊枝峠道を普通乗用車で走ることはお止め下さい。未舗装で、かなりぬかるところがあります。
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Last updated
2014.05.07 06:22:35
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