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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「子安観音」像】 この「子安観音」像が祀られている観音堂は、会津のキリシタンを研究し始める前から知っていました。しかし、中にどのような「子安観音」像が祀られているかは、まったく判りませんでした。扉が閉まっていて、中を覗けるようなところはありませんでした。 2006年12月6日、この観音堂の境内にある石仏をもう一度確認しに出掛けたら、正面の一部が壊れていて、中を覗くことが出来ました。そして、その小さな穴に小さなデジカメを入れて、写真を撮ってきました。あれ以来、この観音堂がある村の辺りを通る時には、毎回、内部の写真を撮るようにしていました。 最近は、懐中電灯とストロボを所長に持ってもらい、ワイヤレスでストロボを発光させて撮っていました。この写真は2013年10月15日に撮っていますが、この村は史料のデータベースから、保科正之公が会津藩主になられてから成立した村であることははっきりしていますが、この一帯を開墾するにあたり、堰を造ったことも『新編会津風土記』で確認できます。 そして、それ以上に気になるのは、この村から少し離れたところに、かつては何らかの建物が建てられていたことが『新編会津風土記』から判ります。それだけではありません。この観音堂を改修した時に、観音堂の下から「経石」と呼ばれている石が大量に出てきているのですが、それらの一部が公民館に展示されていたので、これも会津のキリシタンを研究し始める前ですが、じっくり見てきたことがありました。なかなか興味深い漢字が、一つの小石に一つ墨で書かれています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.09 06:51:55
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