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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の「庚申塔群」】 左上は「寛政十二年」、右上は側面に「万延元」、左下は「大正九年」、右下は「明和元申天」と彫られています。が、明和元年は庚申の年ではなく、甲申の年です。庚申と甲申を間違えたのかもしれません。ただ、それにしては「奉供養庚申」と真ん中に彫られています。 高遠から3000人の農民が武士に取り立てられて、山形最上経由で会津に入ってきているのですから、会津に来た高遠石工が会津の習慣を高遠に伝えても不思議ではありません。文化は、江戸時代には、文化そのものが独自に伝わることはあり得ません。これは文化接触の基本的理解です。そして、文化接触にはいくつものパターンがあります。 会津と高遠の間には密接な関係がありますから、当然のこととして、それぞれにあった文化が伝わっても不思議ではありませんし、高遠から山形最上経由で会津に入ってきた方々が、高遠にある文化を持ってきても不思議ではありません。文化だけでなく、宗教も同じです。 同じキリスト教でありながら、ギリシア正教会の礼拝とプロテスタント教会の礼拝とは、大きく異なっています。関心のある方は、御茶ノ水にあるニコライ堂へ日曜日に見学に行かれてみてください。中に、太い柱がありますが、そこから中に入らなければ、初めから最後まで見学していることが出来ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.09 17:22:52
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