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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【祠に祀られている「子安観音」石仏】 前述の不思議な石像が金毘羅神社の裏山に祀られている村に、鉄筋コンクリート製の祠があって、その中に「子安観音」石仏が祀られていました。この写真だと判り難いかもしれませんが、光輪が布状になっています。そして、香炉にはお線香の燃え残りがありました。この写真を撮ったのは2011年2月4日ですが、この頃にもこの「子安観音」石仏をお参りする習慣がこの村にあったということになります。 そして、金毘羅神社の裏山にあのような石像が祀られている村ですから、もしかするとこの石仏に関しても、何らかの伝承が残っているだろうと思います。しかし、そうした伝承は必ずと言っていいほど浮かび上がってきません。これは中通りだけのことではなく、会津でも同じです。ですから、史料だけでなく、村々に残されているモノを考えることによって、その土地のキリシタン史を考えざるを得ません。 「『子安観音』の中には、仏教のモノがある」とおっしゃる方もいますが、『儀軌』に記されていないものを仏教のモノであるとするには、かなりの困難があると小生は考えています。それでいて、本来であれば観音菩薩を祀る習慣のないお寺に、「子安観音」像が残っていることをどう考えたらいいのか。会津と中通りのキリシタンの間に、何らかの繋がりがあったことも、残されているモノから明らかです。 蒲生氏郷が会津の領主だった時には、白河から宮城県の白石までの阿武隈川沿いは蒲生氏郷の領地でした。そして、白河から白石までの間にも、こうしてキリシタンの痕跡が残っています。ですから、中通りにもまだ気になっているところがありますし、浜通りへ行けるようになったら、出掛けてみたいと思っています。浜通りにもキリシタンがいたことは間違いないと小生は考えていますが、それなりの根拠があります。もう少し調べてから、ご紹介します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.11 06:47:55
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