|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【伊那谷の転切支丹本人同前の僧侶】 これは、キリシタンの研究のために初めて伊那谷を訪ねたときに撮った写真です。旧高遠藩領内だったところですが、現在は駒ヶ根市になっているところに、蔵澤寺というお寺があります。父親がキリシタンとして処刑された時に、このお寺のご住職が引き取って、このお寺で出家した丹瑞という僧侶の墓です。父親が処刑された時に丹瑞は既に生まれていましたから、転切支丹本人同前ということになります。つまり、産まれた時に洗礼を受けている可能性が高いということが理由なのですが、この丹瑞という僧侶は、後に現在の伊那市中心部にある、蔵澤寺と同じ曹洞宗の常圓寺というお寺の住職になっていました。 しかし、その後、「女犯」の罪によって処刑されています。史料では、丹瑞は檀家から信頼されていた僧侶だったとされています。その丹瑞が60歳を過ぎて「女犯」の罪で処刑されていることを訝しく思っていらっしゃる方のサイトを読んだことがありますが、伊那谷で隠れていたキリシタンををを庇護したのであろうと小生も考えています。関心のある方は、伊那谷を訪ねたら、是非、常圓寺の裏にある墓地を歩いてみて下さい。小生も、2010年7月19日に、少し丹念に歩いてきました。 ただ、非常に大きな疑問が残っているのですが、あれだけキリシタンの痕跡が残っているにもかかわらず、旧高遠藩領内でキリシタンとして捕縛され、処刑されたことが記されている文献がありません。高遠藩の処刑場があった場所は、既に特定することが出来ました。やはり、ネット上に写真があった場所で間違いないと思っています。 内藤高遠藩でも、キリシタンを庇護していたとしか思えませんし、上伊那郡を少し丹念に歩いてみた結果では、内藤高遠藩でも転切支丹移住開墾政策が行われていたように見えます。伊那谷は南北に広がる大きな沢ですが、西側には扇状地形が連続しています。そして、村々が点在しているのですが、そうした村々にあるお寺の墓地にも転切支丹類族の墓石が残っていました。ここでもご紹介したことがあります。 ※上の写真は、歴代住職の墓石が並べられている墓域です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.11 15:57:22
コメント(0) | コメントを書く |