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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【下伊那郡のとある道路沿いにあった石碑】 下伊那郡のとある村の道路脇にあった石碑です。「金毘羅大権現」「秋葉山大権現」と彫られています。これも去年の9月23日に撮りました。金毘羅神社と秋葉神社にどのような共通性があるのでしょうか。少なくとも、この石碑を建てた方々はそれをご存じであったと思われます。意味が判らない石碑を建てる理由が見つかりません。 この写真にもあるように、現在は田圃が広がっていますが、しかし標高の高いところですから、所謂銘柄米が作れるかどうかは判りません。江戸時代には、一反あたりの石高はそれほど多くはなかったであろうと思われます。そうした時代に、これだけの石碑を建てているのですから、それなりに大切な意味があったことは間違いないと考えられます。 おそらく、村で建てたのであろうと思われますが、費用の大半を肝煎が出したとしても、一軒一軒の農家にとっては、かなり負担が大きかったであろうと思われます。建てられた年月日は判りませんが、しかし、江戸時代の農家には現金はほとんどありませんでした。現在のように、現金収入のある仕事は養蚕以外にはなかったであろうと思われますし、養蚕にしても、手間の掛かるしごとです。一軒の人数が少なければ、飼える蚕の量はそれなりに少なかったであろうと思われます。 江戸時代には、10人生まれても、成人するのは2人程度でした。疱瘡などの流行病が広がれば、大変な事態になっていたことは間違いありません。墓地を歩いていると、母親と子供の戒名が一緒に彫られている墓石に出会うことがあります。難産で母親も一緒に亡くなったのかもしれないと思うと、悲しくなります。ですから、そうした時代にローマ・カトリック教会のマリア信仰が一般民有の中に広がったのも頷けます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.12 20:17:07
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