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テーマ:信濃の風景(234)
カテゴリ:キリシタン
【秋葉街道の起点】 前述のしなの鉄道大屋駅前のT字路を南へ向かうとすぐに千曲川を渡ります。この写真は渡りきるあたりから撮った写真です。むかしは、この辺りでお盆の頃に花火大会が行われていました。一度、川がよく見える祖父の知り合いのお宅から見物したことがありました。最近でも行われているのでしょうか。仕掛け花火がものすごく印象的だったのを覚えています。 晴れていたら、鳥が飛んでいる左に浅間山が見えるはずです。そして、浅間山の北側には「鬼押し出し」という溶岩流の痕があるのですが、お時間のある方は是非一度お出掛け下さい。素晴らしい風景が広がっています。また、この辺りは、関ヶ原の戦いの時に、江戸から関ヶ原に向かう秀忠軍を真田軍が足止めしたことでも有名なところです。そして、何故か秀忠軍は中山道を通って関ヶ原に向かい、中山道で道に迷って合戦に間に合わなかったことは有名ですが、なぜ、彼らは中山道を通ったのか。あの時代の中山道はかなり細い路で、武装した軍団が通るには大変だったであろうと思われます。その一部は「旧中山道」として、車で走ることも可能です。ただし、狭い未舗装の路で、対向車が来るとすれ違うのが大変だろうと思います。 そして、かつては武田・村上・真田・上杉がこの一帯で勢力争いをしていました。その頃の伝承が、この一帯の村々にも残っています。そもそも、武士が農民の土地に入って来て、その土地を支配し、年貢を取り立てるということは、現代の社会倫理からしたら実に異常なことです。最近は、こうしたことから、「武士はヤクザだった」とおっしゃる研究者がいるそうです。また、この辺りも標高が高く、現在は山の斜面は果樹園になっているところがありますが、かつては田圃と桑畑が広がっていました。また、この上流では、千曲川の河原の畑では、キャベツなどが栽培され、そうした農作物が高速道路を通って関東圏に運ばれています。従弟が運送会社を経営しているのですが、「一日、東京2往復、それも高速に乗らずにやると利益が上がる」と言っていました。「飛ばしすぎて、兄貴に捕まるなよ」と言ったら、「あの検問所は通らない。彼奴ら滅茶苦茶運転が上手い」と笑っていました。 この一帯の千曲川にも新しい橋がいくつも架けられたので、かなり便利になっています。ただ、村々の中の路は昔のままなので、車での走行には十分にお気を付け下さい。どこかで、クルミを売っていたら買ってきて、殻から実を出して細かく割り、それを擂り鉢ですり下ろして、醤油と味醂で味をつけ、素麺の付け汁にすると真夏の暑いときには美味です。クルミが手にはいると、所長が作ってくれることがあります。所長のご先祖様もこの一帯にいた武装農耕集団だったようです。ただし、村上に内通していたと言っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.13 06:51:29
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