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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【不思議な「夕顔観音」】 これは高遠城の北東にある樹林寺に建てられていた案内板です。これを読んだだけでは、何の不思議も感じませんが、下総多胡にある樹林寺を検索して、驚きました。下総多胡の樹林寺は真言宗ではありません。臨済宗のお寺です。ですから、この夕顔観音の原形になっている「夕顔観音」とはどういう観音菩薩像なのでしょうか。 そして、お静の方の供養塔と、保科正之公の頌徳碑はここでご紹介したことがありますが、お静の方の葬儀を行ったのはこのお寺ではありません。日蓮宗の浄光院というお寺です。それで、お静の方は日蓮宗に帰依していたと言われているようですが、ここにも不思議なことがあります。 お静の方が亡くなられたのは、寛永十二年(1635)です。しかし、宗門人別制度の施行命令が出されたのは、寛永十五年(1638)です。この3年前に日蓮宗のお寺が葬儀を行っていたとは思えません。また、このお静の方の死に際して、どのようなことがあったかは、『会津藩家世実記』に少し詳しく記されています。 また、『会津藩家世実記』にある記録からすると、お静の方の実家は保科家の家臣になっていますし、実家が寄宿していた家も保科家の家臣になっていて、どちらも、山形最上経由で会津に入って来ています。女性が嫁に行く時に、家臣を伴わせることはよくあることだったようですが、お静の方は保科家に養子に入る幸松(後の保科正之)の母親として付いていったに過ぎません。関心のある方は、お静の方の実家と寄宿していた武家の姓を『会津藩家世実記』の『人名索引』で調べて、その姓の人物が出てくるところを読んでみて下さい。真実の歴史を知るには、少し手間がかかります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.13 19:49:57
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