|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【絵島の高遠遠流】 絵島という大奥の女性のことを知ったのは、はじめて高遠へいった時のことでした。高遠城址のすぐ近くにある歴史博物館の隣に、絵島の囲い込み屋敷が復元されていて、ほとんど関心がなかったのですが、せっかくだから見ていこうということになって、中に入ったのですが、案内板に記されていることがあまりに細かいことまで書かれているのが気になって、すべて写真に撮ってきて、それをテキストファイルにしました。参考になるかと思いまっすので、そのテキストファイルをここに貼り付けます。勿論、コピペ自由です。 「[口頭での申し渡し] 正徳四年三月十二日 一、絵島はお預けではないからそう心得て、遠流の格をもって諸事取り計らいもうすよう、つまり、高遠へ遠流と心得られよ。
[伺に対する回答・二] 正徳四年三月二十四日 そして、最近になって、『高遠のあゆみ』という写真集に絵島の墓石の写真があり、戒名の下に「霊」の異体字(速記文字)が彫られていることに気が付きました。「まさか、大奥にキリシタンがいたわけはない」とお考えになる方もいらっしゃるかもしれませんが、写真は嘘はつきません。出版物に載っている写真なので、ここではご紹介できませんが、小生はその墓石の写真をデジカメで取り込んであります。 おそらく、内藤高遠藩ではこのことを知っていたのであろうと思われます。それで、こと細かく幕府にお伺いを立てたのであろうと思われます。不思議なことですが、あの丹瑞という僧侶とその父親だけが処刑されているだけで、内藤高遠藩では他にキリシタンが処刑された形跡はありません。それでいて、不思議なモノが多数、旧高遠藩領内に残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.13 20:24:17
コメント(0) | コメントを書く |