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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【信濃のとある庵の近くにて】 これは前述までの修道院からそれほど離れていないところにある、新しく造成された墓地の近くにあった十字墓です。もうどなたもお参りに来ることはないようで、草に埋もれてしまっているものもありました。こうした十字墓は会津にもあるのですが、高遠にもあります。そして、正面に空けられている穴の形からすると、ここの十字墓も高遠石工の作品のように思えます。 高遠からこの一帯へ来るには、車だと遠回りしなければなりませんが、山道を歩いて来る路がいくつか残っています。未舗装なので、車で走ったことはありませんが、健脚な人であれば、一日で来ることが出来たであろうと思われます。山歩きに慣れている方は、考えられない程速く歩くことが出来ます。北アルプスへ行くと、行きつけの喫茶店のマスターがおっしゃっていたので、今日はいないだろうなと思って寄ったら、カウンターの中で仕事をしていらっしゃいました。 上高地から奥穂高岳に登って、そこから槍ヶ岳まで尾根伝いに歩いて、北アルプスの東側の尾根を廻って、上高地まで戻ってくると聞いていたのですが、1泊2日で、2日目の夕方には店に来ることが出来たとおっしゃっていました。そういえば、あの方も信州のご出身の方です。 しかも、江戸時代の石工の道具はそれほど多くありません。掛矢などは、農家であれば必ずありますから、仕事先で借りたのであろうと思います。そして、高遠石工は様々な情報の担い手であったと考えられます。江戸時代には、情報は行商の人々が担っていましたが、石工もまた、様々な情報の伝達を担っていたであろうと考えられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.14 15:34:40
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