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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【信濃のとある庵の近くにて】 2011年1月26日に伊那谷を訪ねた翌日、杖突峠を越えずに、諏訪湖経由で、あの修道院を訪ねました。この写真は、その途中で撮った八ヶ岳の写真です。八ヶ岳へ何回行ったかはまったく判りいません。日記をつけていないので、まったく判らないのですが、二桁の回数であることは間違いないと思います。 学生時代でしたから、ただ登って下りてくるだけの山行でした。勿論、この写真に写っている一帯にキリシタンがいたことなど、まったく知りませんでした。しかし、この一帯を巡って、何故この標高の高いところにキリシタンの痕跡が残っているのか、不思議でなりません。武田の家臣団が帰農したのでしょうか。それとも、幕府が転切支丹移住開墾政策を行ったのでしょうか。 もう少し丹念に歩いたら、まだまだ見つかるだろうと思います。東京から日帰りで行くことが出来る距離なので、もう少し日が長くなったら出掛けてみたいと思っています。そして、この一帯にある村々の名前も気になります。あるいは密教のお寺も気になります。密教のお寺は檀那寺になることが出来なかったはずなのですが、お寺の境内に墓地があり、そこにも十字墓が残っています。 この写真を撮った時は良いお天気だったのですが、雪はまったく解ける気配を見せていませんでした。次回、この一帯へ出掛けるときには、もっと奥まで入ってみたいと思っています。おそらく、何か残っているだろうと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.15 14:23:53
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