|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【山梨県北部の「庚申塔」碑】 2011年11月16日、それ以前から気になっていたお寺を、東京から日帰りで訪ねた帰りに、旧道らしき道を走ってきたら、道路脇に石碑や石塔が並んでいました。この3基はそれらの中にありましたが、「庚申塔」と彫られた石碑には、上から「萬延元庚申」「大正九年庚申」「昭和五十五年庚申」と彫られています。 山梨県北部にも、庚申の年に「庚申塔」碑を建てる習慣があるようです。「庚申の年」ですから、本来の庚申のマツリとは異なった習慣であると考えざるをえません。やはり、甲斐にもキリシタンが広まっていたようです。ここには、「南無妙法蓮華経」と彫られた石塔が建てられていますから、近くの村にある日蓮宗の檀家になっている村なのであろうと思われますが、しかし、この庚申の年に「庚申塔」碑を建てる習慣が、日蓮宗の習慣であるとは到底考えられません。 この村でも、それぞれの庚申の年には、伊那高遠で行われたような盛大な行列が行われたのでしょうか。この辺りは、例年はほとんど雪が降らないところですが、猛烈に寒いところです。そもそも甲府盆地は寒暖の差が大きいところで、今年は既に気温30度超えを記録しています。こうした寒暖の差がブドウの栽培に適しているようで、高速道路を走っていると、山の斜面にブドウ畑が広がっているのが見えます。 伊那高遠と茅野市一帯と富士見町と、この辺りは何らかの繋がりがあったのであろうと思われますが、保科家の家臣の中には、かつては甲斐の武田氏の家臣だった家々と思われる姓の家々があります。また、諏訪氏ともなんらかの関係があったようです。そういえば、双体道祖神も静岡県北部と山梨県と長野県南部に分布しています。そして、ここでもご紹介したことがありますが、穴山家の墓地には大きな十字墓がありますし、石灯篭型六地蔵の六地蔵が彫られている部分が残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.15 16:42:18
コメント(0) | コメントを書く |