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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【伊那谷のとあるお寺の墓地で】 2010年の秋に伊那谷のお寺を巡ったことがありました。これはその時に撮った写真ですが、お寺の裏に墓地があって、その墓地の一番奥の墓域にこの2基の墓石がありました。上の写真の墓石には<〇>が彫られています。下の写真の墓石には<卍>が彫られています。司東真雄師の著書によれば、どちらも転切支丹類族の墓石です。 ただ、この墓石が建てられている墓域のお宅の姓を知って、「やはりそういうことか」と思わざるを得ませんでした。あるお寺の関係者の方が、伊那谷にはキリシタンのモノが沢山残っているのが不思議です」とおっしゃっていましたが、こうした墓石のことも含まれているのであろうと思われます。 会津史に関心のある方で、この姓をご存じない方はいらっしゃらないだろうと思います。ですから、この2基の墓石に出会って、会津のキリシタン研究はここで終わりだなとも思いました。伝承は残っているだろうが、記録はまったくないだろうと今でも考えています。。調べたら出てくる可能性は十分にありますが、何年かかるか判りません。そして、なかったからといって、小生が耳にした伝承の重みがなくなるわけでもありません。 この墓地にも、他にも転切支丹類族の墓石と思われる戒名が彫られた墓石がありました。それらはここで御紹介しています。しかし、その文字や文字列が転切支丹類族に使われたものであることをしらなければ、どなたもお気付きにならないだろうと思います。そして、こうした墓石に出会うことによって、旧高遠藩領内でも転切支丹移住開墾政策が行われていた可能性が高いことを知らされましたが、絵島の墓石に彫られた文字列を知るまでは、内藤高遠藩でもキリシタンが庇護されていたことに気が付きませんでした。関心のある方は、是非、伊那谷や松本平を巡ってみて下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.17 10:56:45
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