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はらo@ Re:冬の奥会津・旧伊南村内川(01/28) こみね様まだご健勝でしょうか。幼い時の…
西日本の民@ Re:会津の墓石(12/03) 年を天と記すケースや位号を略するケース…
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2014.05.19
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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン

                              _IGR0801_07_B.jpg

【会津の六地蔵と「庚申」塔】

 これもある村の道路脇にあるのですが、この村も現在は福島県ではありません。この六地蔵に最初に出会ったのは1998年でした。それ以降、ここを通る度に車の中からこの六地蔵を探したのですが、かつてあった場所にはありませんでした。

 しかし、しばらく前にここを通ったら、以前にあった場所ではないところに移設されていました。そして、「庚申供養塔」と彫られた石塔が同じところに建てられていました。この庚申のマツリに関しては、ウィキペディアなどでご確認下さい。少なくとも、こうした石塔を建てることではありません。しかし、本来の庚申のマツリが行われていた形跡は、会津にはありません。

 この「庚」は「かのえ」とも読みますが、十干の中の7番目を表します。現在はあまり知られていませんが、江戸時代には十干が生活の中に溶け込んでいましたから、誰もがそのことを知っていたであろうと思われます。この十干と十二支を併用すると、それぞれの年や日は、60回に一回、やって来ます。これが江戸時代には日常的に意識されていましたし、それぞれの年に関してもこの60年に一回の年が認識されていました。

 そして、こうした「庚申」と彫られた石碑や石塔を見るたびに考えさせられるのですが、庚申のマツリは道教の習慣で、平安時代に貴族の間で守られていた習慣です。それが何故、会津や旧高遠藩領内などで一般民衆の中に、石碑や石塔を建てる習慣として定着したのでしょうか。考えられることは一つです。京都周辺から移住してきた人々が、庚申のマツリを知っていたということです。蒲生氏郷の出身地は滋賀県の日野町です。そして、蒲生家は佐々木六角家に仕えていましたが、琵琶湖沿岸にいた土豪集団を家臣にしていました。しかし、六地蔵にどのような意味が隠れているのかは、未だに判りません。






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Last updated  2014.05.19 21:10:54
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