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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【とある修道院にある不思議な石像】 伊那谷を巡った翌日、2011年9月27日に、東京へ戻る途中でとある修道院に寄りました。目的はある方のお墓参りをするためです。この方とは一度だけお会いしたことがありましたが、ほとんどお話しすることはありませんでした。そして、この修道院へある方が連れて行って下さった時に、写真を拝見して、あの時の方だと知りました。この石像は、その方のお墓の横にあります。 どこにあったものかは判らないそうです。しかし、キリシタンの石工が彫ったものであることは間違いないと考えています。ただし、この石像がどのような意味を持って彫られたのか、それを誰が守ってきたのかはまったく判りませんが、ここにこの石像が遺されていることは事実です。 「墓参り」と言うと、「仏教みたいだ」とおっしゃる方が大勢いらっしゃいますが、宗門人別制度が施行されるまでは、お寺の墓地はありませんでした。ある集のおい寺では、お寺の中に死者を入れることは禁止されていました。「死は穢れ」と考えられていたからです。仏の世界は穢れではありません。会津だけでなく、いろいろなところでお堂の周りに墓地があるのに出会います。お寺のない村が多いのですが、おそらくそのお堂は、「死を穢れ」とは考えていない宗教の建物であったのであろうと考えられます。そして、そうしたお堂が、宗門人別制度が施行された時にお寺になったのであろうと考えられます。そう考えれば、村の中にお寺が建てられていても不思議ではなくなります。 会津だけでなく、東京近郊にも観音堂がお寺の本堂になっているところがあります。しかも、そのお寺は臨済宗のお寺です。小生は、そのお堂を見に行ったのではなく、そのお堂の裏の小高いところに並べられている「百庚申」を見に行ったのですが、そのお寺のことが気になって仕方がありませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.20 15:44:16
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