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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【守屋貞治と願王和尚】 伊那高遠に守屋貞治という有名な石工がいました。この守屋貞治のことを知ったのは、2009年に伊那高遠を訪ねた時でした。あるお寺の山門のところに、守屋貞治が彫った聖観音石仏と延命地蔵石仏が祀られていたからです。そこにあった説明板には「深い薫陶を受けた諏訪温泉寺のお願王和尚は、大変立派な和尚で、貞治はこの和尚と広く行脚を共にし、修行も並以上のものであったと言われている。」と書かれているのですが、この2体の石仏があるお寺も、諏訪温泉寺も、臨済宗妙心寺派のお寺です。 それで、諏訪にある臨江山温泉寺を2009年5月19日に東京から日帰りで訪ねてみました。この写真は、温泉寺の裏山にある墓地で撮った写真です。「願王地蔵大菩薩 守屋貞治作」と彫られた石塔が建てられています。そして、この願王大菩薩石仏以外にも、守屋貞治の作品であろうと思われる地蔵菩薩石仏が何体も祀られていました。 ここまでは納得できたのですが、裏山の広い墓地を下りて、車に戻って参道を下りかけたら、守屋貞治が彫った三十三観音石仏が並べられている祠がありました。もう一度記しますが、守屋貞治が師事した願王和尚は臨済宗の僧侶です。気になって、三十三観音石仏のほとんどすべての写真を撮ってきました。東京に戻って、翌日にその写真をじっくり見たのですが、気になる石仏はありませんでした。ただ気になるのは、願王和尚が臨済宗の僧侶であることだけです。 会津のとある村にある観音堂に、「願王地蔵」と書かれた幡が掲げられている地蔵菩薩石仏があったことを思い出しました。その観音堂に祀られている観音菩薩石仏は、非常に不思議な石仏です。そして、その村も木地師の村なのですが、保科正之公が会津藩主になられてから成立した村です。歴史研究は、答えが初めから判っていたら研究になりませんが、会津のキリシタン史の原点は、蒲生氏郷だけでなく、保科正之公にもあるように思えてなりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.20 17:28:21
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