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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の宝篋印塔と不思議な千木のある神社】 今年の3月26日に、ある一帯を訪ねた帰りに、突然出会った宝篋印塔です。道路脇の小高いところに建てられていました。そして、道路を挟んだ反対側に不思議な神社がありました。屋根に伊那高遠の守屋神社と同じ型式の千木が5つ、取り付けられています。そして、この拝殿の後ろにある幣殿にも同じ型式の千木が付けられていました。 このブログをしばらくお読みくださっている方々は、これがどういうものかお判り頂けるだろうと思います。「詳しく書け」と言われれば、かなり詳しく書くことが出来ますが、「被差別民はお寺に入れてもらえなかったから、仕方なくキリシタンになった」という、まったく出鱈目な理解が会津に蔓延しているので、詳しく書くことは出来ません。どなたが、どういう意図でそうしたことを言い始めたのか判りませんが、あまりにも悲惨です。 大河ドラマで戦国時代のことが放映されていますが、あのキリシタン大名たちは皆、被差別民だったのでしょうか。あの時代のお寺には檀家があって、葬式や法事をしていたのでしょうか。中学や高校の歴史教科書に、「宗門人別制度」という言葉は出てきても、その実態に関してはまったく記されていません。「空海・高野山金剛峰寺・真言宗・弘法大師」「最澄・比叡山延暦寺・天台宗・伝教大師」と覚えれば、中学を卒業できたのですが、しかし、あの時代の仏教寺院は、村の中にお寺を建てることも、一般民衆の葬儀や法事を執り行うこともありませんでした。 そして、宗門人別制度が施行されて始めて、仏教寺院が葬儀や法事をするようになったのですが、会津の人々がキリシタンになったのは、それよりも50年以上前のことです。そして、キリシタンはレクイエムをしていました。仏教用語を使えば「死者のための供養」です。また、お御堂の境内に墓地が造られていました。当時のヨーロッパの教会と墓地を考えれば当然のことです。そして、お墓参りもしました。「お墓参りなんて、仏教みたいですね」と何回も耳にしたことがありますが、宗門人別制度の形態そのものがキリスト教の教会制度のコピーです。関心のある方は是非、圭室文雄『葬式と檀家』(吉川弘文館)という本をお読みください。専門的なことが書かれていますが、内容は非常に理解しやすく書かれています。そして、いつかこうしたキリシタンの遺跡をもっともっと具体的に書くことが出来る時が来るといいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.21 07:25:37
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