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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【諏訪の子安地蔵】 前々述の諏訪のお寺にあった子安地蔵石像です。他の地蔵石像と同じところに祀られていました。会津にも子供を抱いた「子安地蔵」があるのですが、この「子安地蔵」も『儀軌』には見当たりません。ですから非常に不思議な石像であるとしか言いようがありません。 一般に「ノボトケ」とか「ノンノサマ」と言われている石仏や石像がありますが、そうした石像は仏像とは言いませんし、お寺のご本尊になることもありません。ですから、こうした「子安地蔵」石像もお寺とは関わりなく彫られたものであろうと考えざるを得ません。 そして、非常に不思議なことなのですが、守屋貞冶は「子安観音」や「子安地蔵」を彫っていません。あるいは、十字杖を手にした地蔵菩薩像を彫ることもしていません。それでいて、守屋定冶は臨済宗妙心寺派の僧侶であった願王という僧侶に師事していながら、観音菩薩像を数多く彫っています。 このお寺の参道脇には、細長い祠が建てられていて、守屋貞冶が彫ったとされている観音菩薩石仏が33体、並べられています。この守屋貞冶は明和二年(1765)に高遠城からそれほど離れていない村で生まれたとされていますが、その時代にも、高遠にも、キリシタンが隠れていた可能性を否定できないモノが残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.05.21 09:47:33
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