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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のキリシタンを高遠から考える】 キリシタンの研究のために、最初に伊那谷を訪ねたのは2007年8月27日でした。あれから、何回も伊那谷を訪ね、旧高遠藩領内だけでなく下伊那郡も訪ねてきました。そして、最近は会津から高遠を見るのではなく、高遠から会津を考えるようになってきました。上の2枚の写真は高遠にある守屋神社の拝殿の屋根を撮った写真です。下の写真は旧高遠藩領内のとある村にある祠を撮った写真です。 会津にも守屋神社が2社あるのですが、その片方には、形が少し異なっていますが似通った千木が取り付けられています。そして、下の写真に写っている祠がある村と同じ名前の村が会津にあるのですが、その村にある白幡八幡神社の弊殿の屋根にも、同じような千木が取り付けられていた跡が残っていて、千木の一部と堅魚木が地面に落ちていました。 そして、同じような千木が屋根に取り付けられている神社は、会津の他ところにも残っています。こうした千木に関しては、写真をここで何回も提示してきました。そうした神社がある村に「巳待」と彫られてる石塔があることも写真をご紹介してきました。 また、祠でも神社でもない建物に千木が取り付けられているケースもここで写真をご紹介したことがあります。会津の建物がある村の肝煎だったお宅の古い建物にも同じような千木が取り付けられていることが判る写真が、とある本に載っています。そして、そうしたことからも、高遠にあった文化が、会津に伝わっていることも見えてきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.12 19:30:22
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