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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のキリシタンを高遠から考える】 これは会津のとある村の道路脇の高いところに建てられている「廿三夜」と彫られた石碑です。どちらも、基礎の部分を含めて2m程あります。しかし、会津の市町村史で、当該市町村にあった二十三夜の月待ちの習慣に関して具体的に記されている記述に出会ったことがありません。 しかし、『高遠町誌』にはその具体的なあり方が記されています。その内容からすると、『高遠町誌』が編纂された時には、まだ高遠には二十三夜の月待ちが残っていたように思えます。二十三夜の月は、間違いなく三日月形の月です。満月が欠け続けて二十三夜には四分の一の三日月形になります。そして、高遠ではどうしても願い事が叶わない時には、二十三夜の月が出るのを立ったままで待っていて願い事をするそうです。 これも実に簡単なことで、三日月が聖母マリアの象徴であることは、九州に残っているキリシタンの聖母マリアの絵に顕れています。ですから、二十三夜のこうした石碑が残っているということは、高遠から山形最上経由で伝わったのであろうと考えられます。 「二十三夜」と彫られた石碑や石塔は、会津にも少なくありませんが、伊那高遠には「庚申」碑や「甲子」碑と一緒に建てられているところがかなりあります。と同時に、ここで何体もご紹介したことのある馬頭観音石仏が一緒に並べられています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.13 20:19:47
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