|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の不思議な「愛宕神社」】 前述の「優婆大明神」がある村からそれほど離れていない村にある愛宕神社です。入口にも、内部にも、「愛宕神社」と書かれた扁額が掲げられています。すぐにお気付きになられるだろうと思いますが、一般的な神社軒中区ではありませんし、鳥居もありません。そして、ここも江戸時代には二本松藩領だったところです。ですから、『新編会津風土記』にはこの村のことは載っていません。 ここを訪ねたのは、一昨年の6月18日でした。この時には、気が付かなかったのですが、これ以降、この一帯をじっくり巡ってみたおかげで気が付かされたのですが、二本松藩でも切支丹穿鑿をしていなかったように思えます。中通りの二本松藩領には、不思議なモノが数多く残っています。ただ、二本松でも殉教者が出ていますから、蒲生時代や加藤時代の会津のように、武家だけが取り締まられたのかもしれません。農村から殉教者が出たら、確実に年貢が減ります。藩にとって大変なことです。 一般に、転ばないキリシタンはすべて、処刑されたかのように思われていますが、少なくとも保科松平会津藩ではそうした対キリシタン政策は行われていません。何回も書きましたが、『会津藩家世実紀』には転ばないキリシタンが処刑されたという記録は一ヶ所しかありませんが、しかし『新編会津風土記』に記されている記録からすると、処刑されたのではなく、移住開墾させられたとしか思えません。 そして、会津の場合、戊辰戦争時にも隠れ続けていたキリシタンが藩内にいたことが判っています。ある人物のことをテレビで特集していたことがありました。あの人物の先祖も、高遠藩士だった家です。それを確かめるために、伊那谷のある一帯を丹念に巡ってきたことがありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.14 16:22:06
コメント(0) | コメントを書く |