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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【臨済宗臨江山温泉寺】 以前からこの臨済宗臨江山温泉寺というお寺にいた願王和尚というご住職のことが気になっていたので、2011年10月27日に東京から日帰りで諏訪に出掛けてきました。この写真は温泉寺の山門から諏訪湖方向を撮った写真です。参道が写っていますが、左カーブの辺りに、高遠石工・守屋貞治が彫った三十三観音石仏が祀られているところがあります。 この守屋貞治は願王和尚に師事していたとされていますが、願王和尚は臨済宗のお寺のご住職です。にもかかわらず、守屋貞治は何故、三十三観音石仏をこのお寺のために彫ったのでしょうか。臨済宗で観音菩薩を祀るということは極めて不思議なことです。 この温泉寺の裏山にある墓地には「高嶋藩主廟所」があるのですが、そこに建てられている案内板には、「高島藩主諏訪家の菩提寺は、頼岳寺であったが、初代藩主頼水は、慈雲寺十四世泰嶺に帰依し、城下に招いて菩提寺を建てようと考えた。二代忠恒は、父の志を継いで寛永十七年(一六四〇)城下に臨江山温泉寺を建立し、泰嶺を招いて開山したと伝えている。」と記されています。 この慈雲寺というお寺も臨済宗のお寺で、下諏訪にあります。こうしたケースは新寺建立禁止令には抵触しなかったようで、会津でも若松城下のお寺の塔頭(たっちゅう)が離れたところにある村にお寺として移っているケースがあります。しかし、慈雲寺も温泉寺も臨済宗のお寺ですから、三十三観音石仏が納められたこと自体の謎は消えません。そして、旧高遠藩領内にある臨済宗のお寺の裏山にも三十三観音石仏が並べられていて、十二番の観音菩薩が手にしている鉾の先端は、逆さ十字になっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.15 10:48:38
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