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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【臨済宗臨江山温泉寺】 前述までの温泉寺の墓地にあった「願王地蔵大菩薩 守屋貞治作」と彫られた石塔と、その願王地蔵大菩薩石像です。この「願王地蔵大菩薩」と彫られている石塔を見て、会津のとある村にある観音堂を思い出しました。観音堂の中に「願王地蔵菩薩」と書かれた懸札が紐で吊されています。それが気になっていたのですが、この願王和尚に関して調べたかったのですが、会津の史料にはまったく出ていませんでした。 守屋貞治が生まれたのは明和二十五年(1765)で、亡くなったのは天保三年(1832)です。この時代には保科松平家は会津藩主になっています。にもかかわらず願王和尚のことが会津に伝わっていたということは、保科家が高遠を離れてからも、高遠と会津にはそれなりの関係があったということになります。 それだけではありません。「願王地蔵菩薩」と書かれた懸札がある観音堂の本尊は観音菩薩石仏なのですが、間違いなくキリシタンのものであると考えられるものが彫られています。風化していて、きれいに撮ることが出来なかったのですが、丁寧に画像処理したら何とか見えるようになりました。 こうしたことが判ってくると、その「願王地蔵菩薩」と書かれた懸札が観音堂に掲げられている村に関する『新編会津風土記』の記述が何を意味しているかが見えてきます。初夏にも会津へ行く予定があるので、その時にあの村をまた訪ねられることを願っています。そういえば、あの村にも上水道兼農業用水用の堰が残っています。
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Last updated
2015.01.15 13:59:46
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