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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の不思議な石仏】 これを「石仏」と呼んでいいかどうか判りません。実に不思議なものです。舟形光背の上部には太陽と月が彫られています。最初にこれに出会ったのは、1998年でしたが、その時の記憶では、ここにあったかどうか定かではありません。現在はとある村の神社の境内にあるのですが、以前はすぐ隣にある聖徳太子堂の裏にあったように思えます。 被りものも着衣も、仏像のものとは思えません。どちらも茶人が好んで身に付けていたもののように思えます。そしてこの一帯の村々は、残されている会津の史料からすると、保科正之公が会津藩主になられてから成立した村々のように思えます。(『会津キリシタン研究II』に少し詳しく記してあります) そして、とある村の墓地には、まるでカリス(聖杯)を持っているように見える像が彫られた石仏が残っています。その石仏に出会ったのも、この石仏に最初に出会った時でした。そして、ある小さな村では、家数が一桁なのですが、3つの宗旨の異なるお寺の檀家になっています。その村の方も大変に不思議がっていらっしゃいましたが、『会津藩家世実紀』に見られる保科松平会津藩の対切支丹政策からすると、答えは一つしかないのですが、そうした村には伝承は残っていないようです。 会津のキリシタン史は、史料から遺されているものを考えたり、遺されているものから史料を解き明かすことによってしか見えてきません。伝承は尽く潜ってしまっているようです。そして、そうした会津のキリシタン史を旧高遠藩領内に遺されているモノから検証しなおすと、鮮明に見えてきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.15 20:38:43
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