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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の不思議なお寺】 十字簿が写っている写真は、会津のとあるお寺で撮った写真です。このお寺は戦後になって、別の村が全村離村した時に、ここへ移って来たお寺です。ただ、興味深いのは。上の写真の真ん中に写っている少し大きな十字墓の中には、小さな石製の五輪塔が祀られています。そして、それに気が付いた時に、山形最上の林泉寺というお寺の墓地に、上杉家の女性の墓が多数残っているのを思い出しました。 それらの墓には、墓石ではなく大きな石祠の中に、石製の五輪塔が祀られています。この村は山形最上の影響を受けていたのか、それとも別のところの影響を受けていたのかが気になるのですが、このお寺の由緒が掲げられていたので、それを写真に撮ってきて熟読したのですが、その由緒によれば、7世紀半ばには当山派の修験道のお寺だったと記されています。そして、14世紀の後半に曹洞宗に転宗し、16世紀には「不動明王のお堂」を下の写真に写っている「子安観音」像がある村に移したと記されています。そして、あの村には不動明王を祀った小さな祠があります。 こうしたことは、『新編会津風土記』には記されていませんが、寛文期の寺社改めに時には、何故こうしたことが提出文書に記されていなかったのでしょうか。『新編会津風土記』は寛文期の寺社改めの時に、寺社から提出された文書を、原則としてそのまま載せています。(『新編会津風土記』の凡例) あの林泉寺の墓地にも、気になるものがあります。上杉景勝の妻・菊姫の弟に当たる武田信清(信玄の六男)の墓があるのですが、大きな五輪塔が建てられています。そして、その左右には十字墓が並べられています。それだけではありません。あの林泉寺の本堂の向きも気になっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.20 16:04:14
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