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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある国道沿いにある石碑】 昨夜は疲れていて、書き込みが出来ませんでした。申し訳御座いませんでした。一昨日、これらの石碑があるところを通ったのですが、雪が多かったので、まったく見えませんでした。 「庚申」碑には「萬延元年」と彫られています。万延元年は1860年で、庚申の年です。おそらく高遠から伝わった習慣であろうと思われますが、こうした習慣の伝播は、その習慣だけが伝わったのではなく、その習慣の保持している人々が移住したと考えられます。ですから、「道祖神」と彫られた石碑も理解することが出来ますし、「己待供養」と彫られた石碑も理解することが出います。 会津のキリシタンは、蒲生氏郷の時代のキリシタンと加藤家の時代のキリシタン、そして保科松平家のキリシタンと連続しています。そして、保科正之公の時代から、転切支丹類族移住開墾政策が進められています。新しく開墾した村もありますし、それまでに村があったところに移住させられているケースもあります。 そして、保科正之公以降、キリシタンが捕縛されて処刑されたことはありませんでした。会津で殉教者が出たのは、蒲生忠郷の時代と加藤明成の時代だけです。しかも、その後の情況を考えると、処刑されたのはすべて武士階級であろうと考えられます。また、明らかに保科正之公と共に山形最上経由で旧高遠藩領内から会津に移住してきた家々で成立したと考えられる村々に、はっきりとしたキリシタンの痕跡が残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.23 15:34:22
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