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カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村の道路脇にある石灯籠型六地蔵】 この石灯籠型六地蔵に最初に出会ったのは1998年でした。その後、道路の拡張工事が行われて見当たらなくなってしまったのですが、村の中の道路脇に移設されていました。この写真は、去年の4月に、東京へ引っ越すために会津と東京を往復していた時に撮った写真です。 これまでこのブログで数多くの六地蔵をご紹介してきましたが、六地蔵が残っている所にキリシタンの痕跡が多く残っていることも事実です。そして、こうした傾向は会津だけでなく、信州や甲斐にも言えることですし、甲斐のケースでは平板な石に六地蔵が彫られているのですが、上部に三日月が彫られ、近くには「球形道祖神」もありました。 それだけではありません。そうしたものが残っている近くのお寺の墓地や村の墓地には、十字墓をはじめキリシタンの痕跡が残っているところがあります。出会った当初は非常に驚いたのですが、その一帯には、「穴山家の墓」が残っていて、宝篋印塔や十字墓、あるいは石灯籠型六地蔵も残っていました。 保科正之公を高遠藩主保科正光の養子にすることを言い出したのは、見性院だとされています。見性院は穴山梅雪の妻です。最近になって市町村が統合されて、村名が消えてしまいましたが、JR中央本線には現在も「穴山」という駅が残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.23 19:52:09
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