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テーマ:日本の未来(224)
カテゴリ:キリシタン
【濃霧の中で】 これは2011年1月17日に長野県側から撮った八ヶ岳の写真です。稜線は雲に覆われていました。おそらく、稜線では霧が雨のように着衣に付いて、周囲はまったく見えないだろうと思います。小生は、北八ヶ岳の天狗岳で同じような霧に包まれて、天狗岳の東側にあるピークで休憩し、自信を持って夏沢峠に下りる路を下りました。しかし、ある程度下っても夏沢峠に着かないので不安になったら、急に霧が晴れて自分が下っている路のはるか下に山小屋が見えました。夏沢峠ではないと気が付いたので、そのまま引き返し、休憩したピークで立ち止まることなく、反対側へ下りました。 今の時代は、あの時のような情況かもしれません。ヨーロッパの国々やアメリカは、確信を持って「イスラム国」を排除しようとしています。あるいは、イスラム教とがタブーとしている人物の「風刺画」を描いて、それを新聞に載せたところもあります。かつて同じような「風刺画」が新聞に載ったことがあり、ネット上でそれを見たことがありました。内容はイスラム教の教理に関する揶揄嘲弄でしかありませんでした。小生自身の言葉で言えば「餓鬼でもしない」ことです。 日本は今、グローバルな社会の中で、まったく霧に巻かれてしまっているようです。携帯の電池が切れ、霧の中でカーナビも動作しない情況です。19世紀の明治「維新」が今でも続いているように思えることもあります。そして、「集団的自衛権」を容認するために憲法の解釈を変えました。その為の準備作業だったのでしょうか、「特定秘密保護法」が出来ました。 そのうち、テレビから自動的に「大本営発表」が流れるようになるかもしれませんし、原発事故の時には、それに近いことが行われていました。「ただちに人間に影響を与えることはありません。」という言葉だけが一人歩きしていました。あの時は既に、福島県の浜通りではかなり高い環境放射線量が確認されていたにもかかわらずです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.24 15:08:19
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