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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【延宝三年正月十三日 左儀長焼候儀可為停止旨被仰出】 『会津藩家世実紀』の延宝三年正月十三日に「左儀長焼候儀可為停止旨被仰出」と記されています。会津藩主は保科正経の時です。「左儀長焼」は所謂「サイノカミ」のことです。つまり、正月十五日に行われるサイノカミのマツリの禁止命令が会津藩から、会津藩領内と天領南山御蔵入に出されているということです。これは、「寛文十一年六月十一日 御預所御仕置御私領同前被仰付候段、公儀江従 中将様御届被仰達」と『会津藩家世実紀』に記されていますから、会津藩領内だけでなく、天領南山御蔵入にも適用されていると考えられるからです。 しかし、このサイノカミの「停止」命令に関しても、理由が記されていません。写真に写っているサイノカミに火を着けて燃やすわけですから、それが民家に延焼することがあったのですが、それを防ぐために「停止」命令を出したのであれば理由が記されていても問題ありません。理由を示さずに「停止」命令が出されているのは、他には、「寛文六年九月廿一日、御領中順礼ニ出候儀、御停止被仰出」があります。三十三観音の順礼を禁止しているのですが、その理由が記されていません。 会津三十三観音にしても南山御蔵入三十三観音にしても、不思議なことが数多くあります。曹洞宗のお寺で観音堂が建てられているところも三十三観音の札所になっています。そして、そのお寺の墓地には気になる墓石がかなり残っています。また、観音堂の正面には一般的な観音菩薩像が祀られているのですが、脇の方に「子安観音」像が祀られているところもあります。こうしたことは、小生の中ではすべて解決しているのですが、当該寺院のある村の名前を明らかに出来ませんので、これ以上のことは書かないことにしています。 この3枚の写真は、去年の1月15日に撮った写真ですが、とある村で行われるサイノカミを最初から最後まで見て来ることが出来ました。そして、その時にあるところで撮った写真に、「子安観音」像が写っていたのに気が付き、「延宝三年正月十三日 左儀長焼候儀可為停止旨被仰出」の理由が見えました。サイノカミの作り方が他とは異なっていますし、組み上げられたものに火が着けられたあと、あることが起きるまではお一人もお帰りになりませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.25 11:37:09
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