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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【伊那高遠の十字墓】 この2枚の写真は2009年11月4日に撮った写真です。伊那市高遠町にある、とあるお寺の墓地で撮りました。上の写真に写っている十字墓は、それぞれを写した写真をここで紹介したことがあります。これがある場所は、そのお寺の墓地の入口です。下の写真は、入り口付近にあった大きな十字墓です。会津でもそうですが、伊那高遠でもこうした十字墓が数多く残っていますが、これほど大きな十字墓は会津では出会ったことがありません。 そして、伊那高遠だけでなく、保科正之公が高遠藩主であられた時に高遠藩領だったところ(旧高遠藩領内)では、かなり新しい十字墓があるところもあります。それらのいくつかもここでご紹介してきました。そして、旧高遠藩領内は現在は伊那市・駒ヶ根市と上伊那郡・東筑摩郡の一部・塩尻市の一部ですが、そうした旧高遠藩領内にも十字墓が残っています。 また、キリシタンの痕跡が残っているのは、この天竜川流域だけではありません。千曲川流域にも残っているのを確認しています。あるいは安曇野市から大町市一帯にも残っていますし、善光寺平や松本平にも残っています。小布施町の岩屋観音はネット上でも紹介されているサイトがありますが、小布施町から北方にもキリシタンの痕跡が残っています。また、木曽谷にもキリシタンのモノが残っています。 ですから、長野県も一帯にキリシタンが広がっていたと考えられます。ある地域で、一つの村だけがキリシタンになったとは考えられません。また、長野県から関東平野にかけての一帯にも、キリシタンの痕跡が残っていますし、栃木県でもはっきりとしたキリシタンの痕跡を見付けています。群馬県のある一帯は、とある歴史的な出来事から、キリシタンがいたのであろうと考えられたので出掛けてみたら、そこら中に不思議なモノが残っていました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.28 15:35:26
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