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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【松本城】 松本市中心部にある松本城ですが、この松本城に関しては是非、ウィキペディアの「松本城」の項をお読み下さい。この松本城の歴史は非常に興味深いです。小笠原氏が築城した時には「深志城」と呼ばれていたのですが、武田氏が信濃に侵攻して落城し、小笠原氏は追放されるのですが、武田氏が滅亡した後、木曾義昌が支配していました。徳川氏に仕えた小笠原氏が回復して、「松本城」と名前が変わっています。 この深志城の城主だった武田氏は、武田氏が滅亡した後、松本平のとある村に帰農しているのですが、保科正之公が高遠藩主だった時代には高遠藩領でした。そして、その村からも山形最上経由で会津に入って来ていると、歴史に詳しい方からお伺いしました。それで、謎が一つ解決したのを憶えています。 この松本城の天守閣は江戸時代の建物がそのまま残っています。但し、多少は補強されているのですが、中に入る価値は十分にありますので、是非入ってみて下さい。外から見ると五層の天守閣に見えるのですが、内部は六層になっています。そしてその最上階は実に不思議な造りになっています。 小生は、岳へ登った帰りや、スキーに行った帰りに、時間があるとこの松本城を訪ねていました。内部では「どこで写真を撮っても構いません」と係の方からお伺いして、この時も多数の写真を撮ってきました。また、この内堀に面した石垣も気になっていたので、上の写真の紅い欄干のある橋を渡ったところで、石垣を真横から撮ってきました。塀や建物がない部分は孕んでいます。石垣は、上からの荷重で安定するそうです。そして、孕みが強くなると崩れやすくなると、石垣の専門書に記されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.31 20:45:05
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