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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【武蔵国の「子安地蔵」石像】 これも前述の金昌寺にある「子安地蔵」石像です。左手で幼児を抱いていますが、こうした像も「儀軌」にはありませんので、小生は「子安地蔵」と「」を付けて表記しています。ただ、こうした「子安地蔵」が誰を彫った像なのかは判りません。ただ、新約聖書から考えれば、答えは一人しかいないだろうと思っています。 この金昌寺にはかなりの数の石仏や石像が奉納されているのですが、奉納者の中には日本橋の大店の主と思える人物もいます。奉納者の住まいと店名と名前が彫られているものがあります。勿論、本人がこうした石像や石仏をここに運んできたわけではないと思われますが、日本橋からここまで運んでくるのは大変だっただろうと考えていました。 しかし、高遠石工が集団で現在の東京都の西部に移住していることを知って、去年の8月にその一帯を巡ってみたら、その一帯にもキリシタンの痕跡が残っていました。それらの写真は、ここでご紹介したことがあります。日が長くなったら、もう少し奥の村も訪ねてみたいと思っています。あの一帯から秩父まではそれほど遠くはありません。 彼らは、江戸城の石垣を構築・修理するために江戸に呼ばれたとされていますが、あそこから江戸へはかなり距離があります。と同時に、江戸城の内堀の石垣を見てみると判るのですが、すべてを同じ石工集団が築いたとは思えませんし、江戸城の石垣は、様々な大名家に積ませていることが判っています。ですから、内堀の外側を一周すると、石積みの仕方が異なっているのが判ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.01 20:13:01
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