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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【土津神墳墓】 保科正之公を葬った墳墓です。上部には「土津神分鎮石」が置かれています。真ん中の写真はズームレンズに付け替えて撮影しています。『会津藩家世実紀』の記録からすると、ここで服部安休という家臣が神道で葬儀を行ったとされています。そして、深い穴を掘って、底に大量の松脂などを敷き詰めて平坦にしたところへ、棺を置き、掘った穴を埋めたと記されています。古代の古墳のような石室は造られていません。ですから、この盛り上がった土を取り除いても、棺は出てこない構造になっています。 ただ、残念なことに、杉が植林されてしまっているので、内部はかなり傷んでいるであろうと思われます。これは、葦名三代の墓地にある墳墓にも言えることで、歴史に関心のある者としては、非常に悲しいことです。そして、「會津中将源君之墓」と彫られた大きな石塔が墳の下に建てられています。 また、国土地理院の地形図から解析すると、杉が植林されていなければ、墳墓の一番上つまり「墳鎮石」があるところからは猪苗代湖のほぼ全容が見えるであろうと思われます。このことに気が付いたのは、かなり以前でしたが、その後のフィールドワークで出会ったモノやコトを理解する上で非常に参考になりました。また、この墳墓の頂きに立てば、磐梯山の山頂が赤埴山の斜面から顔を出しているだろうと思います。 会津では石碑などに赤い石が使われることがあるのですが、そうした赤い石を「磐梯山の石」と言われていることがあります。しかし、小生が知っている限りでは、磐梯山の北側の水蒸気爆発の噴火口や南側の斜面には、そうした石は残っていません。しかし、そうした石がキリシタンの記念のものと思えるところに使われているのを知って、色々なことを考えさせられました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.04 14:28:40
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