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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【猪苗代湖周辺のとある神社】 上の写真は2009年7月6日に撮った写真です。真ん中の写真と下の写真は2013年6月12日に撮った写真です。上の写真に写っている拝殿の屋根には、片側にだけ千木が取り付けられていますが、真ん中の写真に写っている拝殿には、両側に千木が取り付けられています。この間に屋根の葺き替えが行われた時に、両側に千木が取り付けられたのであろうと思われます。そして、この神社の入口には牡丹が植えられていました。 この牡丹には、とある不思議な習慣が会津に残っているそうです。そして、旧高遠藩領内のとある豪農の屋敷の屋根にも、伊那高遠の守屋神社と同じ千木が取り付けられていますが、とある村の肝煎だった家の屋根にも千木が取り付けられています。これは、小生は実物を見たことはありませんが、とある本にその写真が載っています。 そして、戊辰戦争の後も隠れ続けていたキリシタンの村の屋根には、はっきりとしたラテン十字が建てられていました。これは、1980年の夏にその村へ行った時に、自分の目で見てきましたし、とある本にその写真が載っています。文字は書き加えたり、消したり出来ますが、あの写真はネガフィルムで撮られていた写真であろうと思われます。そして、撮った方も会津のキリシタンを研究されていた方で、小生はよく存じ上げている方です。 こうしたことが、会津では現在も行われているのですが、この千木の意味を村の方がご存じかどうかは判りません。しかし、形は「Χ(キー)」そのものです。キリストを表すギリシア語の頭文字です。「本当に戊辰戦争の後もキリシタンが隠れていたのですか?」と訝しく思われる方々もいらっしゃるだろうと思われますが、これが会津のキリシタンの特徴なのです。保科正之公が会津藩主になられて以降、キリシタンは処刑されていません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.05 20:21:32
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