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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村にある北向きの稲荷神社】 前回記した、北向きの稲荷神社です。この村は写真を撮っている小生の後ろの方にあるのですが、村からお参りしやすいように北向きにしたとは思えません。また、若松市街地には、「北向き稲荷を3ヶ所お参りすると願いが叶う」という言い伝えが残っています。そして、若松城下でも北を向いた稲荷神を祀った祠を見たことがあります。 そして、周囲は田圃が広がっていますが、この境内は小生が見た限りでは一反程あります。ですから、圃場整備の時にも削られることはなかったのであろうと思われます。そして、『文禄三年蒲生家高目録』にこの村の名前が記されています。『文禄三年蒲生家高目録』は文禄三年(1594)に書き上げられた高目録で、この時の会津の領主は蒲生氏郷です。 その後、保科正之公が圃場整備をしているのですが、この時にはこうした神社などを一ヶ所に集めているのです。しかし、この稲荷神社は単独でここに残っています。それが気になって、2003年以降、様々なことを考えたのですが、この稲荷神社をお参りする方が向く方向に、蒲生氏郷の時代には確実に城の中にあったある建物が気になりはじめました。 蒲生氏郷の時代には、南北の正確な線を知ることは出来ました。まさかとは思うのですが、しかし、可能性が低いとも思えません。そして、この村がある一帯にもキリシタンの痕跡が残っています。同時に、稲荷神は「屋敷神」と言って、一軒ずつの家々で祀られることが多いのですが、この稲荷神社は間違いなく村の神社です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.07 11:23:29
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