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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のとある村にある「子安観音」堂】 これは会津のとある村にある「子安観音」堂と、その境内にある石碑や石塔を撮った写真ですが、この「子安観音」堂に祀られている「子安観音」像は、保科正之公の重臣だった人物で、保科正之公の晩年にキリシタン出会ったが故に帰農した頃に奉納したと伝えられています。この「子安観音」堂に祀られている「子安観音」石像はここでも何回かご紹介してきました。 この「子安観音」堂の脇の広いところに石碑や石塔が建てられています。左端の石祠の右隣から、「金毘羅神社」「奉?二十三夜供養塔」「山神」「己待供養塔」と彫られていていますが、右端の石塔に彫られた文字は読み取ることが出来ません。この村にはお寺はありませんが、檀那寺は隣の村のお寺であろうと思われます。 ここを最初に訪ねたのは1998年でした。この時にはまだ、その重臣が奉納したということしか知りませんでしたが、その後に、この人物が帰農していることを『新編会津風土記』で知ったのですが、その頃にはまだ伊那高遠を訪ねていなかったので、意味が良く判っていませんでした。 そして、2006年5月30日に村の墓地をじっくり巡ってみて、初めてその意味が見えました。おそらく、その重臣の家臣が帰農した時に、一緒に帰農した家々があるのであろうと思われます。「重臣」といっても家老ですから、それなりの家臣団がいたことは間違いないと思われます。そして、今から考えると、この村と同じ理由で帰農した家々がある村だということが判っている村も会津藩領内だった地域にあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.11 10:17:08
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