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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津史で非常に気になる人物】 会津史で非常に気になっている人物がいるのですが、その人物のことを確認したくて、2009年10月21日に、旧高遠藩領内のとある一帯を訪ねました。この人物に関しては、もうしばらく以前にテレビで特集番組が放映されていましたが、それよりも前から気になっていました。 そして、その一帯を巡ったのですが、その人物と同じ姓の家がないかを、とある村で訪ねたら、この写真に写っている村に多いと教えて下さいました。この写真は、それよりも前に撮ったものです。大きな「庚申」碑や馬頭観音石仏、あるいは双体道祖神などが並べられています。そしてここも村の入口です。 ですから、その姓の家がこの村に多いと聞いて、悩んでいたことを解決することが出来ました。そして、会津に帰ってから、この一帯で撮った写真をじっくり見直したのですが、戊辰戦争の時にも、隠れていたキリシタンがいたことがはっきりしました。戊辰戦争の時のことですから、勿論、会津史に関する史料にそのことは載っていません。 しかし、あのテレビで放映されたことから考えると、やはりその人物もまたキリシタンであったと考えられます。そう考えていたら、とあるところにある神社を訪ねた時に、麓のとある村でその人物に関する石塔が建てられていました。その神社のことは、ここで何回もご紹介しています。伊那高遠にある神社と同じ名前の神社で、保科正之公とは密接な関係のある神社です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.13 15:33:51
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