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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内のとある村の道路脇にあった石碑・石祠・馬頭観音石仏など】 これも旧高遠藩領内のとある村の道路脇に並べられている石碑や石祠あるいは馬頭観音石仏などです。「庚申」碑は3基ありました。そして、上の写真の左端にある石祠の中には、「双体道祖神」であろうと思える男女の像が祀られています。旧高遠藩領内には「双体道祖神」が数多く残っています。 そしてそれらの「双体道祖神」の多くは、「庚申」碑や「甲子」碑、あるいは馬頭観音石仏と同じところに並べられていますが、中には村の入口に「双体道祖神」だけが祀られているところもあります。しかし、こうした男女の像が何故道祖神なのか、小生には判りません。 おそらく、民俗学の中で「道祖神」と考えられ、男女が彫られているので「双体道祖神」と命名されたのであろうと思われますが、「庚申」碑や「二十三夜」碑とどのような関係にあるのでしょうか。それを考えると、以前には別々のところにあったものを、最近になって一ヶ所に集めたようにも思えます。 本来の「甲子待(きのえねまち)」は大黒天のマツリです。また本来の「庚申待」は道教の習慣です。それらと二十三夜の月待がどのように結び付いているのでしょうか。不思議な習慣だと考えざるを得ません。と同時に、庚申のマツリがどのように行われていたかをご存じの方は、旧高遠藩領内でお一人にしか出会ったことがありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.13 19:20:46
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