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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内の「ハッキュウウ」碑】 これもここで何回かご紹介したことのある写真です。キリシタンの研究者の間では「ハッキュウウ」と読まれている創作文字が彫られています。高遠藩にキリシタンがいたことを示す、かなりはっきりした証拠です。しかも、「干時元禄十年」と彫られています。この元禄十年は1697年で、高遠藩主は内藤氏です。 あの絵島が高遠へ遠流になったのは正徳四年(1714)のことです。会津の絵島がキリシタンであった可能性は極めて高いと、絵島の墓石に彫られている「霊」の速記文字から明らかです。そして、絵島は寛保元年(1741)に高遠で病死していますが、元禄十年から寛保元年の間に、旧高遠藩領内からキリシタンが消えたとは到底考えられません。 それで、伊那高遠にキリシタンが伝わった時期が気になるのですが、伊那高遠が甲斐の武田氏の勢力下にあった時代ではないのかと小生は考えています。一度、伊那高遠に残されているモノを徹底的に検証してみたいと思っています。武田氏にキリシタンがいたことは、甲斐に残されているモノからはっきりしています。そして、信州で武田氏の勢力下にあった地域にも、キリシタンのはっきりとした痕跡が残っています。 そうした視点からも、信州と甲州は非常に気になっています。おそらく、伊那高遠にキリシタンが伝わった時代には、甲州には既にキリシタンが伝わっていたのであろうと思われます。お彼岸が過ぎて、日が長くなりはじめたら、もう一度甲州と信州を訪ねてみたいと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.14 07:08:33
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