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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津藩領内の創作文字が彫られた墓石】 前々回に記した「ジロニモ」と読める文字が彫られた墓石です。この写真を撮ったのは2008年4月22日ですが、最初に出会ったのは2000年でした。その時には気が付かなかったのですが、会津の書斎でこの一帯で撮った写真を見ていて、ふと気が付きました。「示」+濁点+「ロ」+「ニ」+「も」であることに気が付きました。 「延享二丑年」は1745年です。「童子」と彫られていますから、まだ幼い男の子であったのであろうと思われます。2000年にこの墓石と出会って以降、何回もこの墓地を訪ねました。そして、この村から少し上がったところにある村も何回も訪ねていますが、その村の名前を音読みすると、ラテン語の「祭壇」を意味する単語に近い音になります。 そして、2008年に訪ねた時には、その「祭壇」を意味する音に近い村の方と、少しお話しすることが出来ました。その時にお伺いしたことの中に、非常に気になることがあったのですが、この創作文字を解読出来た時に、その気になることが何を意味しているか理解することが出来ました。 それと同じ漢字表記の村が会津藩領内にもう一つあるのですが、その村には薬師三尊が祀られた祠が建てられているのですが、右側の脇侍は「子安観音」像です。村の方の許可を頂戴して、その写真を撮ってきたのですが、ここでご紹介したことがあります。また、その「子安観音」像とよく似た「子安観音」像が、会津藩領内の二つの村にあるのですが、江戸時代の街道とは別の山道で繋がっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.14 14:30:30
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