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カテゴリ:キリシタン
【会津の宝篋印塔】 これは去年の4月に撮った写真です。今までにもここでご紹介したことがあります。どちらも高さは120センチメートル弱です。そして、当該市町村が建てた案内板には、次のように記されています。 「この宝篋印塔は、その形態より見て、安土桃山時代の作と推定され、本県内にも数少ないものである。 ここは、現在は福島県ではありません。しかし、蒲生氏郷の時代からは間違いなく会津でした。『文禄三年蒲生家高目録』にも村名が出てきています。それが気になっていたので、この村の一帯を訪ねたことがあるのですが、ある沢沿いの村々の墓地には、宝篋印塔が多数残っていました。それらの宝篋印塔はここでご紹介したことがあります。 「これ丈の供養塔が建立されていることは由緒ある武士の一族であることが考えられる。」と記されていますが、おそらく、蒲生軍団の精鋭集団の武士とその妻の墓として建てられたのであろうと思われます。この村は街道の要衝になっていたと考えられます。会津には、同じような地理的情況にある村がありますが、そこも街道の要衝でした。『新編会津風土記』にはそうしたことは記されていませんが、幕府に献上する風土記にそうしたことを書くとは思えません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.18 12:00:47
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