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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の石灯籠型六地蔵】 左上の石灯籠型六地蔵に最初に出会ったのは1998年でした。村の入口にある橋を渡ったところにありましたが、しばらく前から見えなくなっていたので、そこを通る時に気を付けていたら、橋の手前に移設されていました。おそらく、道路拡張で橋が架けなおされた時に移設されたのであろうと思われます。 横には「庚申供養塔」と彫られた石塔や、観音菩薩が彫られて石仏なども並べられていました。ここは、前述の宝篋印塔がある村から少し離れた村ですが、蒲生氏郷が会津の領主だった時代には会津だった村です。それに気が付いていたので、1998年にこの辺りを少し巡っていたのですが、その時には訪ねなかった一帯を2013年6月25日に訪ねました。 その一帯の村々の墓地にも宝篋印塔が建てられていました。どれも古い形式を残している宝篋印塔です。しかし、それらの宝篋印塔が建てられたのは、保科正之公が会津藩主になられてからであろうと思われます。とある村の方とお話しすることが出来たのですが、その時にそれを考えさせられました。 旧高遠藩領内から保科正之公と共に山形最上経由で会津に入って来た家々は、会津のかなり広範囲に帰農しています。そして、そうした村々にはキリシタンの痕跡が必ず残っていたり、不思議な習慣が残っていたりします。また、お堂の手前にお籠もり堂が建てられていたりします。旧高遠藩領内には大きなお籠もり堂が建てられていた、密教のお寺が現在も残っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.18 14:47:26
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