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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【都心のお寺にあった不思議な墓石石仏】 この2基の石仏墓石は、前述の織部灯籠があるお寺から少し離れたところにあるお寺の、墓地の入口に建てられていました。上の石仏墓石の最上部に「歸元」と彫られています。そして、左側の戒名の下に「霊」と彫られています。下の墓石石仏の舟形光背の右側に戒名が彫られているのですが、「大姉」という位号の下に「淑位」と彫られています。 そしてどちらも、真ん中に観音菩薩像が彫られています。この2基の墓石石仏に出会った時に、観音菩薩が彫られていることが非常に気になりました。このお寺は曹洞宗のお寺だからです。上の墓石石仏には「宝永七庚寅」と彫られていますが、1709年です。この頃には「歸元」と彫られることが既に行われていたことになりますし、曹洞宗のお寺の墓地に観音菩薩が彫られた石仏墓石が建てられているということになります。 そしてここは、前述のお寺よりは江戸城に近いところです。そして、施主の氏名が彫られているので、武家の女性の墓石石仏であろうと思われます。圭室文雄氏によれば、享保九年(1724)に幕府から配付された「類族早見表」で女性が転切支丹類族である時、夫が転切支丹類族ではないのは、切支丹本人もしくは本人同前の姪に当たる女性だけです。しかも、この「類族早見表」が出されることによって、転切支丹類族の人数が増えたとされますから、この女性の夫は転切支丹類族にはなっていない可能性があります。 そこで大きな疑問が起こります。それは、この女性の夫が「歸元」の意味を知っていたかどうか。そして、これだけの墓石石仏を建てることが出来た武士が、この墓地へ妻の供養のために訪れることがあったかどうか。そして、この家が幕府の家臣の家だったかどうか。このお寺が建てられているところは、現在は商業地帯の裏になりますが、18世紀初頭には田園地帯であったと、当該特別区が建てた案内板に記されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.22 10:13:20
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