|
テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の転切支丹類族墓石】 前回ご紹介した墓石の中に、「昭和六年」と彫られている墓石がありましたが、この墓石には「明治十五年」と彫られています。そして、「禅海」という道号の下に「一丹」と彫られ、「禪入」という道号の下に「一味」と彫られた文字列が彫られています。明治十五年は1882年です。戊辰戦争から14年後です。所謂「明治維新」が行われてから14年が経っても、破棄されたはずの宗門人別制度が実質的に残っていたということになります。 キリシタンの研究がこうしたことに出会うとは思っていませんでしたから、こうした墓石に出会うと思いっきり疲れました。「明治『維新』はクーデターでしかなかった」と高校生の頃から考えてきたのですが、これなどは典型的なその証拠であろうと思っています。そして現在でも、「政府を批判すると『アカ』と言われてしまう」ことが残っています。 そして、宗門人別制度は明治以降「戸籍」という形で、市町村役場が維持してきました。これは現在も変わることなく続いています。しかし、近代市民社会は国民が主権者だったはずです。最近は戸籍では飽きたらずに、マイナンバーによって政府が国民を管理しようとしています。マイナンバーを採用すると便利なのは、主権者である国民ではなく、国民を管理しようとしている政府です。 かつては、中学生が揃いのジャージにナンバーが記されたゼッケンが縫いつけられていましたが、ある方はそれを「囚人番号」と呼んでいらっしゃいましたが、その後「囚人番号」は消えました。そして、免許証から本籍地が消えましたが、政府はそれを簡単に読み取ることが出来ます。そういえば、「東京でネイビーの可愛いお嬢さん達を大勢見た」とおっしゃっていたアメリカのご婦人がいらっしゃいました。どういう服を着たお嬢さん達か、皆さんはお判りになられますでしょうか?‥‥‥ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.26 10:30:37
コメント(0) | コメントを書く |