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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【南会津の巨大な五輪塔】 これは前述の村からそれほど離れていないところにある巨大な五輪塔です。下の写真に写っているのは所長ですが、身長150センチメートルです。この五輪塔があるところに村がありますが、現在この村にある家々は、集中豪雨で土砂崩れが起こって埋まってしまった家々が移住した家々です。 『新編会津風土記』のこの村の項には、この村は16世紀には武装農耕集団であった家に関することが記されています。非常に興味深い家です。そして、最近出版されたその一族に関する本を読んだのですが、葦名家に仕えていたことを守り続けるために、蒲生氏郷には仕えなかったことが記されていました。そして、かつてはこの村にお寺があったのですが、そのお寺は現在は廃寺になってしまっています。近年まで仏像などが残っていたそうですが、もうしばらく前に、売ってしまったそうです。 それでも、このお寺の寺名を考えると、ここに武装農耕集団の統領がいたことは間違いなさそうです。16世紀ですから、この頃には宗門人別制度=寺請制度=檀家制度は影も形もありません。その時期に、五輪塔を墓石として建てたとすれば、キリシタン以外に考えようがないです。そして、地形的には非常に防御に長けたところですから、廃寺になったお寺に残っていた「仏像」がどのようなものであったかが気になりますが、それに関する伝承は残っていないようです。 そして、その廃寺になったお寺にはいくつかの末山があったのですが、それらのお寺をすべて訪ねてみましたが、やはり気になるものが残っていました。会津でこうしたことをお話しすると、武士が山の中に住んでいるはずがないといわれることがありましたが、徳川家の先祖は三河の松平にいた武装農耕集団です。かなり山の中だと聞いています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.02.27 16:20:31
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