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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津のキリシタン史】 会津のキリシタン史は非常に興味深いです。小生が会津のキリシタンを研究し始めたのは、1998年でした。そして、フィールドワークを中心にして進めようと思い、最初に訪ねたのは鶴ヶ城でした。それ以来、何回鶴ヶ城を訪ねたか判りません。会津若松市立図書館が以前のところにあった時には、図書館へ行った帰りに寄ったこともあります。 その後、『会津藩家世実紀』の『綱文』が歴史春秋社から出版され、それを頼りに『会津藩家世実紀』に填り込みました。理由は簡単です。「おかしい」と思ったからです。会津では、蒲生氏郷が領主だった時にキリシタンが広まったとされているのですが、しかし、加藤時代に捕らえられていたキリシタンが、まだ転んでいないにもかかわらず、高齢・病弱を理由に、自分の村に帰されています。 何回もここで記しましたが、『会津藩家世実紀』は保科松平第八代藩主、松平容衆がまだ若かったので、会津の歴史を知っていただくために編纂された、会津藩に残っていた文書集です。『新編会津風土記』とは異なって、幕府に提出するために編纂されたものではありません。中には、これは極秘文書だったのではと思える文書さえ加えられています。 それからは、気になるところへフィールドワークに出掛けるようになったのですが、そうしたところには必ずキリシタンの痕跡が残っていました。そして、この鶴ヶ城の中にも、はっきりとしたキリシタンの痕跡が残っています。破壊されてしまうと困るので、それがどの様なものかはここでご紹介したことがありますが、それがある場所は他言しないことにしています。関心のある方は、鶴ヶ城を丹念に、くまなく歩き回ってみて下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.01 16:12:09
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