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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【旧高遠藩領内にある大きな薬師堂】 小生が「旧高遠藩領内」と呼んでいるのは、保科正之公が高遠藩主であられた時代に高遠藩だった一帯です。伊那谷から並べると現在の宮田村・駒ヶ根市・伊那市・箕輪町・南箕輪村・辰野町・塩尻市の一部・松本平南西部の村々と現在は伊那市高遠町になっている一帯です。この旧高遠藩領内の石高は三万石でした。 2007年に高遠を訪ねたあと、『高遠町誌』などを手に入れて、じっくり読んでみたのですが、その結果、気になることがいくつも出来たので、2009年以降、年に数回は高遠へ出掛けましたし、諏訪湖周辺や山梨県北西部や北部も訪ね、佐久平や善光寺平あるいは木島平も巡ってみました。また、安曇野も大町市まで出掛けてみました。 この薬師堂はそうした旧高遠藩領内に建てられています。それだけであれば、不思議には思えないのですが、この薬師堂の境内や裏山の斜面には、かなりの数の観音菩薩石仏が並べられています。特に、裏山に並べられている観音菩薩石仏は数が多すぎて、途中で諦めて下りてきました。 この薬師堂は弘仁年間に弘法大師が祀ったものを、木曾義仲がこの堂宇を建立して平家追討の祈願を凝らしたと、当該市町村が建てた案内板に記されていました。「また、弘法大師伝承か」と正直思いました。小生が知る範囲では、空海が行脚したとしてもその期間は1年だけです。中国から帰ってきてすぐの頃です。そして、空海伝承を出来るだけ数多く集めた方が整理し、計算したら、空海は3回生まれ変わらなければ無理だと書かれている本があるそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.01 19:28:46
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